皆さんこんにちは!
今日はIgA腎症寛解までの11か月と数年後現在について書きたいと思います。
治療の経過
退院してから1か月に1回、病院に通院しました。
検査結果に応じて、主治医の先生がプレドニンの量を減らしていきました。
1か月後
結果:蛋白± 潜血1+ 10−19/HPF
プレドニン:30gそのまま
2か月後
結果:蛋白− 潜血3+ 20-29/HPF
- 蛋白と潜血は順調に減っている。腎機能も問題なし
- 潜血はまだ少し出ているが大したことない
- 採血でコレステロールが気になっていたが問題なさそう。次回からは尿検査のみでOK
プレドニン:30g→25gに減量
3か月後
結果:蛋白− 潜血± 1-4/HPF
潜血が初めて正常になった。
プレドニン:25g→20gに減量
4か月後
結果:蛋白− 潜血± 1-4/HPF
不眠、感情の起伏があるが、放っておいてOK
プレドニン:20g→15gに減量
5か月後
結果:蛋白− 潜血− 1-4/HPF
プレドニン:15g→10gに減量
これからは1か月半おきに、7.5、5、4、3、2、1gに減らしていこう
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経過は順調で、特に大きく体調も崩すことなく順調でした。
副作用(思い込みかもしれない)も、気づけば気にならなくなっていきました。
母が癌になる
経過は順調でした。
あんなに蛋白潜血が出ていたのに、もう正常値に戻っているとのこと。
扁桃腺摘出+ステロイドパルスが効いてくれたんだ。ありがたい・・・。
病気も治ってきたし、あれもしたい、これもしたい。
あれも見にいきたい。
そうだ、あそこにも旅行に行きたいな。
そんな風に呑気に考えていた矢先、姉から電話がありました。
- 母の具合が悪い。
- 実は、数か月前に健康診断で乳がんが見つかった。
- でも、あんたは自分の病気で大変だろうから、母が知らせないでほしいとのことだった。
- 今は父が看ていてくれている。手術する頃は私が看病する。
頭が真っ白になって、電話を落としてしまいそうになりました。
あんなに私のことを心配して看病してくれた母が癌に・・・。
IgA腎症と闘っていた時は自分のことばかり考えていて、時にはワガママ言っては家族にきつく当たっていた時期もありました。
そんな中、母は自分自身の癌を知ってどう思ったんだろう。
ちっとも知らなかった。
本当にショックでした。
これから母はどうなってしまうのだろうと思うと、涙が止まらなくなりました。
ちょうど仕事の方もいろいろ重なり、心身ともに疲れて切っていた頃でした。
悔いはなく、スッパリ仕事を辞め実家に戻りました。
転院
主治医の先生に地元に戻る旨を伝えました。
主治医の先生より
- 実家に戻るまでには、完全に治療を終えられない。続きを次の病院で続けること。
- 次の病院は、中規模で腎炎の知識がある病院が良いでしょう。クリニックでない方が良いと思う。
ギリギリまで東京で治療をし、プレドニン5gになったところで転院しました。
主治医の先生を始め、看護師さん、スタッフの方々、本当にお世話になりました。
転院先にて。ついに完全寛解へ
退院10か月後
いろいろ落ち着いた後で、紹介状を持って新しい病院へ。
ドキドキしながら診察室へ入ると
先生から開口一番、「完全寛解ですよ」
蛋白潜血は陰性で問題なし。今後は再発だけ気をつけていきましょうとのことでした。
退院13か月後
そして退院13か月後、ついにプレドニンが0gになりました。
(こちらの先生のプレドニンの減量の方針により少し早いペースで終了しました)
蛋白も潜血も異常なし。これからは半年に1回の経過観察で問題なし。
正真正銘の寛解ですね、という言葉をいただきました。
母の様子
母は手術を受け、その後放射線治療に進みました。
途中、母が少し気持ち的に不安定になることもありましたが、母もいろいろなことと闘っていたのだろうと思います。
私は姉が毎日送ってくるレシピを見ながら、姉の指示通りの料理を母に作っていました。
この時が人生で一番料理を頑張ったかもしれません。
治療が効き、おかげさまで母は少しずつ回復していきました。
腎臓の異常が見つかってから数年経った今
最初に異常が見つかってから約1年半。いろいろなことがありました。
今思うと、あの時は一体何だったのかなぁと思うことがあります。
IgA腎症。この病気をきっかけに人生が良い方に変わったと思います
- 自分の幸せや人生について本気で考え、公務員試験に挑み、頑張ることを学びました。
- 病気になって、家族や友人のありがたみを知りました。
- 普段の食生活に気を使うようになりました。
- 日々、健康保険や様々な社会保障に助けてもらっていることを知りました。
- 母は乳がんが見つかって手術をしましたが、早いうちに治療をできたことで今は元気に元通りの生活を送っています。
- 私は公務員にはなれなかったけど、その後住み慣れた街に転職することができました。
- 今の仕事は前職ほど心身ともに疲れることもなく、家族が近くにいる中で穏やかな生活を送っています。
- 今も半年に1回、腎臓内科に通っていますが蛋白潜血が大きくひっかかることはありません。
そう言えば、退院して毎日忙しく仕事を頑張ってた頃、雨上がりの大きな虹を見ました。
普通の虹ではなく、ダブルレインボーといって二重になっている虹です。
ダブルレインボーは「卒業」というスピリチュアル的な意味があるそうです。
この時期、いろいろなことが重なり、精神的にしんどい時期でした。
「辛い経験も、きっと卒業できる時が来るかな。」
この虹の写真をスマホの待ち受けにし、その時できることを精一杯頑張ろうと決めました。
今思えば、この虹を見た時から自分の人生が好転したように思います。
IgA腎症の経験は辛いこともあったけど、私に欠けていたものを学び、大切なものや人を思い返すきっかけになったと思います。
家族、友達、病院や公的機関の方々。
いろいろなことに感謝し、いつか私自身が何らかのかたちでお礼をしていきたい。
そんな風に思うようになりました。
この時の経験を忘れず、自分の健康に留意し、毎日大事に生きていきたいと思います。
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